大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 昭和62年(ワ)80号 判決

原告(反訴被告)

波多武男

被告(反訴原告)

伊岐見堅吾

主文

一  原告(反訴被告)と被告(反訴原告)間において、原告(反訴被告)の被告(反訴原告)に対する別紙事故目録記載の交通事故に基づく損害賠償債務が存在しないことを確認する。

二  反訴原告(被告)の反訴請求を棄却する。

三  訴訟費用は、本訴反訴を通じ全部被告(反訴原告)の負担とする。

事実

以下、「原告(反訴被告)波多武男」を「原告」と、「被告(反訴原告)伊岐見堅吾」を、「被告」と略称する。

第一当事者双方の求めた裁判

一  本訴

1  原告

(一) 主文第一項同旨。

(二) 訴訟費用は、被告の負担とする。

2  被告

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は、原告の負担とする。

二  反訴

1  被告

(一) 原告は、被告に対し、金六二九万七四九〇円及び内金五七九万七四九〇円に対する昭和六〇年五月一七日から、内金五〇万円に対する平成二年三月三一日から、それぞれ支払ずみまで年五分の割合による各金員を支払え。

(二) 反訴費用は、原告の負担とする。

(三) 仮執行宣言。

2  原告

(一) 主文第二項同旨。

(二) 訴訟費用は、被告の負担とする。

第二当事者双方の主張

1  本訴

(一)  原告の請求原因

(1) 別紙事故目録記載の交通事故(以下、本件事故という。)が発生した。

(2) 被告には、現在、右事故に基づく損害が全く存在しない。

同人は、右事故により何ら受傷しなかつたし、仮に受傷して同人に何らかの損害が発生したとしても、原告は、右事故後、被告に対して、治療費金二〇三万四五四〇円のほか金六五四万六九二〇円合計金八五八万一四六〇円を支払つたから、被告の右損害は、右支払金によつて填補されて消滅した。

(3) しかるに、被告は、原告に対して、現在もなお右損害の存在を主張している。

(4) よつて、原告は、本訴により、原告と被告間に、本件事故に基づく損害賠償債務が存在しないことの確認を求める。

(二)  請求原因に対する被告の答弁

請求原因(1)の事実は、認める。同(2)中被告が本件事故後原告から合計金八五八万一四六〇円の支払いを受けたことは認めるが、同(2)のその余の事実及び主張は争う。同(3)の事実は認める。同(4)の主張は争う。被告に現在右事故に基づく損害が存在することは、後記反訴において主張するとおりである。

2  反訴

(一)  被告の反訴請求原因

(1) 本件事故が発生した。

(2) 被告は、右事故により受傷したが、その内容及びその治療経過は、次のとおりである。

(a) 受傷内容

外傷性頸部症候群、頭部外傷Ⅱ型、腰椎椎間板障害、右大腿部挫傷挫創、腰部挫傷等。

(b) 治療経過

神吉外科医院 昭和六〇年五月一八日から同年一二月五日まで入院。(二〇二日間)

同年一二月六日から昭和六一年五月二七日まで通院。(実治療日数一六二日)

昭和六一年五月二八日から同年九月七日まで入院。(一〇三日間)

昭和六一年九月八日から昭和六二年五月一〇日まで通院。(実治療日数二三一日)

兵庫医科大学病院麻酔科 昭和六一年一一月一八日から昭和六二年三月一六日まで通院。(実治療日数五〇日)

同病院眼科 昭和六一年一〇月六日から昭和六二年三月一三日まで通院。(実治療日数六日)

同病院耳鼻科 昭和六一年一〇月六日から同月一三日まで通院。(実治療日数二日)

同病院脳神経科 昭和六一年一一月六日から同月一三日まで通院。(実治療日数二日)

宮治病院・金沢眼科 各一日通院。

(c) 右受傷は、昭和六二年五月一〇日症状固定し、障害等級一四級一〇号該当の後遺障害が残存した。ただし、所謂事前認定手続では、非該当と認定された。

(3) 原告の責任原因

原告は、本件事故当時、原告車の保有者であつた。

よつて、原告には、自賠法三条に基づき被告の本件損害を賠償する責任がある。

(4) 被告の本件損害

(a) 治療費 金一万二五七〇円

(b) 入院雑費 金三〇万五〇〇〇円

1000円×305日=30万5000円

(c) 通院交通費 金九九二〇円

(d) 休業損害・逸失利益 金二二二万円

被告は、本件事故当時、訴外株式会社共和に土工として勤務し、一か月金二七万七五〇〇円の収入を得ていたところ、本件受傷及び本件後遺障害のため昭和六二年一月から同年八月までの八か月間、全く収入を得ることができなかつた。

よつて、被告の本件休業損害及び本件後遺障害による逸失利益の合計は、金二二二万円となる。

(e) 慰謝料 金三二五万円

入通院分 金二五〇万円

入院一〇か月、通院一三か月。

後遺障害分 金七五万円

(f) 弁護士費用 金五〇万円

以上、右損害の合計額は、金六二九万七四九〇円となる。

(5) よつて、被告は、反訴により、原告に対して、本件損害合計金六二九万七四九〇円及び弁護士費用金五〇万円を除いた内金五七九万七四九〇円に対する本件事故の翌日である昭和六〇年五月一七日から、右弁護士費用金五〇万円に対しては本件第一審判決言渡日の翌日である平成二年三月三一日から、いずれも支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(二)  反訴請求原因に対する原告の答弁及び抗弁

(1) 答弁

反訴請求原因(1)の事実は認める。同(2)(a)の事実は否認。被告に同人が主張するような本件事故に基づく傷害は発生していない。同(b)中被告が昭和六〇年五月一八日から昭和六一年九月七日まで神吉外科医院にその主張にかかる期間入通院したことは認めるが、同(b)中のその余の事実は全て不知。しかしながら、被告が主張する受傷は本件事故によるものではないから、同人の神吉外科医院への右入通院と本件事故との間には、相当因果関係がない。同(c)中被告が昭和六二年五月一〇日症状固定の診断を受けたこと、同人が所謂事前認定手続において自賠責後遺障害等級非該当の認定を受けたことは認めるが、同(c)のその余の事実は否認。同(3)の事実は認める。しかしながら、本件において、原告の被告に対する具体的な損害賠償責任はない。同(4)の事実及び主張は全て争う。同(5)の主張は争う。

(2) 抗弁

(a) 過失相殺

仮に、被告が本件事故により何らかの傷害を受け何らかの損害を被つたとしても、本件事故の発生については、被告の方にも次の過失がある。

よつて、同人の本件損害額の算定に当たつては、同人の右過失も斟酌すべきである。

即ち、被告は、本件事故直前、自転車の通行が禁じられていた歩道を被告車に乗つて走行し、本件事故現場において原告車の扉に衝突し右事故を惹起した。被告が、右歩道でなく本来自転車が通行すべき車道上を走行していれば、自車前方に停車している原告車の扉に衝突することもなかつたのであるから、被告には、右歩道を走行した過失がある。

又、被告は自車前方の注視を怠つて原告車の扉に衝突したのであるから、同人には、この点にも過失がある。

(b) 損害の填補

仮に、被告に何らかの本件損害が発生したとしても、原告は、本件事故後、被告に対して、既に合計金八五八万一四六〇円を支払つている。

よつて、被告の本件損害は、右支払金によつて填補され消滅した。

(三)  抗弁に対する被告の答弁

(1) 過失相殺関係

被告の方にも、本件事故発生に対する過失があつたことは認める。ただ、同人の右過失割合は一〇パーセント前後に過ぎない。

(2) 損害の填補関係

抗弁事実は認めるが、その主張は争う。

ただし、原告の主張金額の内治療費金二〇三万四五四〇円は被告の本件反訴請求外のものであり、被告が本件反訴において主張している治療費金一万二五七〇円も、右支払金の範囲外のものである。

第三証拠関係

本件記録中の、書証、証人等各目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第一本訴

一  請求原因(1)の事実、同(2)中被告が本件事故後原告から合計金八五八万一四六〇円の支払いを受けたこと、同(3)の事実は、当事者間に争いがない。

二  原告は、本訴において、同人の被告に対する本件事故に基づく損害賠償債務の不存在を主張するところ、被告の本件事故に基づく受傷の存在、したがつて、同人の右事故に基づく損害の存在が肯認できないことは、後記反訴請求に対する判断において認定説示するとおりである。

右認定説示に照らせば、原告の本訴における右主張は理由がある。

三  よつて、原告の、被告に対する、本訴損害賠償債務不存在確認請求は、全て理由があるというべきである。

第二反訴

一  反訴請求原因(1)の事実、同(2)(b)中被告が昭和六〇年五月一八日から昭和六一年九月七日まで神吉外科医院にその主張にかかる期間入通院したこと(ただし、本件事故との間の相当因果関係の存在については、争いがある。)、同(c)中被告が昭和六二年五月一〇日症状固定の診断を受けたこと、同人が所謂事前認定手続において自賠責後遺障害等級非該当の認定を受けたこと、同(3)の事実は、当事者間に争いがない。

二  本件第一の争点は、被告の本件事故による受傷の存否にある。

よつて、以下、この点について判断する。

1  被告は、同人において本件事故により外傷性頸部症候群・頭部外傷Ⅱ型・腰椎椎間板障害・右大腿部挫傷挫創・腰部挫傷等の傷害を受けた旨主張している。

(一) 被告の右主張事実にそう証拠として、成立に争いのない甲第六ないし第九号証、乙第一ないし第四号証、被告本人尋問の結果の一部がある。

しかしながら、右各文書の各記載内容のみでは、未だ後記認定説示を克服して被告の右主張事実を肯認するまでに至らないし、被告本人の右供述部分は、後記各証拠及びそれに基づく認定各事実に照らして、にわかに信用することができない。

そして、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

なお、右各文書の各記載内容と本件結論との関係については、後記説示のとおりである。

(二)(1) かえつて、成立に争いのない甲第二号証、第一〇号証、原告本人尋問の結果によりその付陳事実が認められる検甲第一ないし第四号証、原告本人尋問の結果、被告本人尋問の結果の一部及び弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められる。

(a) 本件事故現場は、アスファルトで舗装された、平坦な、幅員一・三メートルの歩道上で、原告被告とも、前方の見通しは、良好であつた。

ただ、右事故現場である右歩道の北側に、幅〇・五メートルの溝蓋を隔てて焼き鳥店「ゴンタ」があり、同店の大きな赤提灯が、右歩道の西端角に存在した。

なお、右事故当時の天候は晴、路面は乾燥していた。

又、右事故現場付近は、右赤提灯の照明で、かなり明るかつた。

(b) 被告は、本件事故当時、被告車(二四インチ婦人用自転車。長さ一・六メートル、幅〇・五五メートル、高さ一・〇メートル。)に乗り、右自転車を時速約一〇キロメートルの速度で進行させていたところ、右事故現場において、停車して開扉していた原告車の左側後部扉の内側と右自転車前部とが衝突し、右事故が発生した。

(c) 原告は、本件事故直前、右事故現場(歩道から約三〇センチメートル離れた車道上)に原告車を停車させ同車両の左側後部扉を開けて同所から乗客を降ろし、同車両をそのままの状態にして日報の記入に専念していた。なお、同車両の左側後部扉は、当時約五四センチメートル歩道上に出ていた。

原告は、その直後、原告車の左側後部で「ボン」というゴム製品が同車両に当たつたような音を聞き、後部を振り返つて見たところ、被告車から降り、右事故現場歩道上に立つている被告を認めた。被告は、当時、被告車のハンドルを持つて同車の左側に立つていた。しかして、原告が右音を聞いた時、原告車が揺れたり動いたりしたことは、全くなかつた。

(d) 被告は、本件事故直後、被告車に跨がつた状態で両足を歩道上に着けて停止した。被告車が右事故により転倒したことはない。

(e) 原告は、本件事故直後、その場で、被告と右事故に関し約二〇分話合つたが、その際、被告は、原告に対して、被告において同人の体の何処かを原告車にぶつけたということを述べていなかつた。

又、原告は、その際、被告車の高さから同車が衝突したと考えられる、原告車の左側後部扉内側の把手付近照明灯の上付近を調べたが、衝突の痕跡は勿論、破損した箇所はなかつた。

一方、被告車にも、破損した箇所はなかつた。

なお、原告車の実況見分が、本件事故当日の昭和六〇年五月一六日午後一〇時〇五分から同一〇分までの間、管轄警察署の係官によつて行われたが、その結果、原告車には被告車と衝突したと思われる損傷箇所は認められず、原告車の左側後部扉内側の照明灯は開放時正常に点灯する状態であることが判明した。

更に、被告車の実況見分が、本件事故後の昭和六〇年五月二二日午前九時一〇分から同一五分までの間、右同係官によつて、行われたが、損害部位等確認できないとの結果に終わつた。

(f) 原告は、被告から、原告の住所・氏名・電話番号を教えてくれとの申し出を受け、これらを紙片に書いて被告に渡した。被告は、原告から、右紙片を受け取つた後、再び被告車に乗り、歩道上を東に向け立ち去つた。

しかして、原告が見ている間、立ち去る被告車の動向に、特段の異常は認められなかつた。

(g) 右認定の事実関係を工学的に鑑定すると、次の結果となる。

(ただし、自転車が前輪で衝突すると、乗員の上体は前屈みに揺れるが、同人の腕を強く突つ張つていなければ、胴体に対して首部が前屈運動を起こすことはないので、ここでは、条件を厳格にし、被告の胴体が車体側に剛直に固定されていたとする。)

ⅰ 被告車に生じた本件事故による衝撃加速度は、最大にみて一・四G、被告の頸部に作用する前屈の負荷トルクは、〇・六五m/kgである。

ⅱ 右負荷トルクは、頸部衝撃耐性実験における無傷限界値との比較において、次のとおりとなる。

動的前屈負荷トルク値の一三分の一、静的前屈抵抗トルクの五分の一。

ⅲ 追突係数(被突車の有効衝突速度と同じ。)における頸部捻挫受傷の限界値は一五であるところ、本件において右係数は一〇である。したがつて、本件追突係数は、右受傷限界値の三分の二である。

(2) 右認定各事実に照らしても、被告の前記主張事実は、これを肯認するに至らない。むしろ、右認定各事実を総合すれば、被告には本件事故に基づく客観的な受傷はなく、同人の主張する本件受傷は、ただ同人の心因に基づくものと判断するのが相当である。

(3) もつとも、前記二1(一)掲記の各証拠(各文書)によれば、被告主張の各医療機関における担当医師が被告主張の傷病名の下で同人の治療に当たつていることが認められるのであり、本件についての右結論は、右各医師の本件治療行為、即ち、医学的見地と矛盾するかの如くである。

しかしながら、このような現象は、次のとおりの、当裁判所に顕著な事実である、交通事故受傷者に対する現在の医療事情に基づくというべきである。

即ち、医師は、交通事故損傷の一般的特殊性のため自覚症状を否定し去るだけの根拠を持たないこともあり、事故後は自覚症状のみであつても患者の生命や健康のために万一の手落ちがあつてはならたいとの観点から、患者の訴えにかなり大きな比重を置き加療している。このような場合、患者の訴えが仮に誇大であつても、その訴えが強い場合、担当医師は、無下に放置しておけず、治療を続けなければならないのである。

このような現在の医療事情及び弁論の全趣旨を総合すれば、本件において被告の治療に当つた各医師も、その例に漏れなかつたと推認できる。

右観点からすれば、右各医師の治療行為の存在も、本件についての右結論を阻害するものでない。

(三) 右認定説示に基づき、被告の本件事故に基づく受傷の事実が肯認できない以上、被告の反訴請求は、その余の主張について判断するまでもなく、右認定説示の点で既に全て理由がないことに帰する。

第三全体の結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、全て理由があるからこれを認容し、被告の反訴請求は、全て理由がないからこれを棄却し、訴訟費用につき、民訴法八九条、九五条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 鳥飼英助)

事故目録

一 日時 昭和六〇年五月一六日午後九時五五分頃

二 場所 神戸市東灘区住吉宮町一番一七号先路上

三 加害(原告)車 原告乗車の普通乗用自動車(タクシー)

四 被害(被告)車 被告乗車の自転車

五 事故の態様 原告が、本件事故直前、右事故現場(車道上)に原告車を停車させて同車両左側後部扉を開き乗客を降ろし、同扉を暫くそのままの状態にしていたところ、被告車が、原告車が停車している車道に接続する歩道上を原告車の左後方から進行して来て、同車両の同扉と衝突した。

以上。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例